お盆に突入してしまってご報告が遅れましたが、京都国立博物館で開催された『豊臣秀次公430回忌 特集展示「豊臣秀次と瑞泉寺」、8月4日に閉展いたしました。期間中の入館者数は40,163人。他の企画展や常設展と抱き合わせの展示とはいえ、4万人強の人に瑞泉寺の寺宝を見ていただけたことになります。図録も期間の中頃に初版が無くなりすぐ増刷されたのですがそれも売り切れたとのこと。記憶に残したい展覧会内容だと多くの人に思って貰えたのだと思います。数年前から進めていた寺宝修繕を中心にした『豊臣秀次公と御一族430回忌プロジェクト』もこれで幕となります。京都国立博物館のご厚意を得て展示風景の写真を公開して、終了のご報告とさせていただきます。
※写真提供・京都国立博物館 ※通常、展示室での撮影は許可されておりません。
今回、修繕できた寺宝の一つ、「伝豊臣秀次筆 和歌扇面」。痛みが激しくバラバラになりかけていたものを保存と展示をしやすい形で修繕することができました。第一展示室の入り口正面に展示されておりました。
さらに今回の修繕できた「霊元天皇綸旨」「女房奉書 三条前大納言宛」の軸(左からの三幅)。いわゆる『瑞泉寺裂』として有名なこの三幅、修繕前は虫喰いと巻きシワがひどくよれよれだったのが見違えるようにしゃんと修繕されました。これならば次世代に残すことができます。
第一展示室は秀次公のことにスポットを当てた展示でした。有名な秀次公と家臣・御一族の肖像画、秀次公の朱印の押された文書、秀次事件の経緯を描いた瑞泉寺縁起、そして御一族の辞世和歌の軸の展示が始まります。
辞世和歌の軸は二十幅あり、一部屋に収まり切らず、第一展示室と第二展示室にまたがってずらりと並びます。一の御台と側室たちの辞世の和歌を、贅を凝らした小袖裂で表装した軸。江戸初期から中期の当時最高級の技術で作られた着物の裂は今見ても美しくゴージャスで、上﨟の女性たちが一堂に会したかのような華やかさがありました。その分、悲しさと切なさが胸に迫ります。この辞世の和歌の軸を全部並べて観たい!と以前学芸員さんに言ったことがあり、それが実現したことも感慨無量です。
第二展示室には秀次事件を描いた『秀次公縁起』も展示され、周囲に展示された辞世和歌と相まって事件の理不尽さを伝えます。この『秀次公縁起』もスポットライトで照らされた金箔の雲が輝いて、これまで何度か見たことはあったのですが、思ってた以上に美しくて驚きました。
第三展示室は瑞泉寺と角倉家の関係のわかる展示がされていました。いつも本堂に安置されている角倉了以像もスポットライトを浴びて男前が上がっている様。その他「狩野永岳筆の唐人舞楽図」や「大般若経」など目録のみで知っていた寺宝を初めて見て「こんなすごいものだったか!」と驚きました。
会期中、瑞泉寺に参拝に来てくださった多くの方から「展示を観てきました」と話しかけていただきました。皆さん興奮気味に感想を語ってくれて秀次公御一族と瑞泉寺に新たに興味を持ってくださった人がたくさんいらっしゃいました。かつて瑞泉寺の寺宝が展示された際、それを観たと思われる甲斐庄楠音が日本画で『畜生塚』を描き、谷崎潤一郎が『聞書抄』という小説を書いた様に、今回の展示を観てくれた方々から何かが生まれたらいいなと思います。何かと誹謗中傷に苦しめられてきた秀次公とその一族ですが、この展示を通じて歴史の再検証につながってくれたらと願います。
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以上、瑞泉寺にとって画期的な展示を京都国立博物館でしていただけたことに、今でもちょっと信じられない気持ちがしています。実現に向けて尽力してくださった京博の学芸員の先生方、特に展示の構想を立てていただいた山川曉先生(現関西学院大学文学部教授)ありがとうございました。
山川先生の後を受け展覧会を成功に導いてくださったのは山内麻衣子先生。山内先生からは「凄惨極まりない秀次事件と、瑞泉寺様の歴史や華麗なご寺宝が、人類普遍のメッセージを内包することをひしひしと感じました。犠牲となったご一族と、ご宝物を守り伝えてきた人々に想いを寄せつつ、貴重な品々を次世代に繋いでいけるよう、今後とも力を尽くしたいと思います。」とのご感想をいただきました。山内先生、そして副担当の企画室長羽田先生をはじめ、図録やキャプション、展示設営、会場運営等に関わった多くの職員の皆様に感謝申し上げます。
また「秀次公と家臣・御一族の肖像画」と「瑞泉寺縁起」「片桐且元書状」を寄託している京都市歴史資料館の先生方のご協力無くして今回の展示はあり得ませんでした。この場を借りて御礼申し上げます。
そしてそして、お檀家さんをはじめ、クラウドファンディングを通じて寺宝の修繕にご支援・応援していただいた皆さん、励ましてくれた友人諸氏、住職の無茶を聞きつつ一緒に走ってくれた家族のみんなに感謝申し上げます。
瑞泉寺住職 中川龍学