豊臣秀次公と御一族430回忌記念に奉納された幻の舞台『殺生塚』が、ふたたび上演されます。安田登率いる劇団ノボルーザが『東京雑戯團』としてパワーアップ。秀次公ご一族の鎮魂の舞台が、かつて処刑のあったその場所に立ち上がります。能の謡、歌曲、おわらい、雅楽、テクノミュージック、アート、そして読経など様々な芸能が渾然一体となった見たことのない舞台です。再演ながら、同じ舞台にならないのが東京雑戯團。前回見た方にも『初心』に帰ってご覧いただけます。前回の公演を体験して、これは新しい『法要』だと感じました。秀次公と御一族の菩提を弔う舞台にご参加ください。
住職 中川龍学
★前回の舞台の様子はこちら
●日時 2026年5月17日(日) 13時半開場、14時開演、終了予定16時半 ●場所 京都瑞泉寺本堂
●出演 安田登と東京雑戯団
●入場料 5000円 限定80席(イス席)
●予約 ※全席指定・完全予約制・予約先着順
瑞泉寺メールinfo@zuisenji-temple.netまで
お名前、人数、連絡先(携帯電話番号・メールなど)をメールしてください。
※メール返信にて座席番号をお知らせします。キャンセルの場合は早めにお知らせください。
※席が埋まり次第予約を終了させていただきます。早めにご予約ください。
※info@zuisenji-temple.netからのメールを受信できるように設定をお願いいたします。
※当日受付にてお名前の確認と入場料のお支払いをお願いします。
⚫︎能楽師安田登による創作舞台
『殺生塚』は、2024年に豊臣秀次公とご一族430回忌記念として、下掛宝生流能楽師にして作家・マルチな活動で知られる安田登氏率いる舞台集団ノボルーザにより奉納されました。『鎮魂』をテーマにした能を取り入れた創作舞台です。すでに伝説と化した幻の舞台を、ふたたび瑞泉寺本堂で演じていただきます。
⚫︎タイトルは『殺生塚』
タイトルの『殺生塚』は、秀次公ご一族の処刑の跡地に築かれた塚のこと。今から約430年前、瑞泉寺のあるこの場所は鴨の河原の広い中洲でした。東海道の終着点として新たに掛けられた三条大橋のたもと、旅人が行き交うこの場所で、公開処刑場は行われました。秀次公のご一族、若く美しい側室上﨟34名と幼い子ども5名が次々と刀にかかり、そのご遺体は大きく掘られた穴に放り込まれました。処刑後そこには巨大な塚が築かれ頂上には秀次公の御首を納めた石の首櫃が据えられたと伝わります。やがて塚は『殺生塚」と呼ばれるようになります。
⚫︎『殺生塚』と『瑞泉寺』
生前の秀次公が殺生を好んだからとも、秀次公の役職「関白」が「摂政関白」から連想され「殺生関白」に転じたからとも言われます。秀次公は晩年、後継者問題で権力者秀吉から疎まれ始めた頃から様々な流言蜚語に悩まされますが、それは死後まで続いたのです。その後17年を経て高瀬川の開鑿を命じられた豪商にして大土木事業者の角倉了以は、工事の途中荒廃した塚を発見し未来永劫この地を残すため寺を建てて守りました。これが瑞泉寺の起こりです。秀次公の首櫃は新たな石塔に組み込まれて秀次公とご一族の墓域として瑞泉寺の一角に移され安置されました。そしてかつて処刑が行われ塚が築かれていた場所に本堂が建てられ現在に至ります。
⚫︎鎮魂の舞台
この本堂で、安田登氏と彼の率いる劇団東京雑戯團が鎮魂の舞台を奉納します。舞い、謡い、ヲノサトル氏の電子音響が重なります。秀次公は能を愛し、自ら舞いまた能の注釈書を編纂したとも伝わります。そんな秀次公に能を取り入れた現代的な舞台を奉納し、悲劇の女性たちの御霊を弔います。
安田登(やすだ・のぼる)

1956年千葉県⽣まれ。下掛宝⽣流ワキ⽅能楽師。元ロルファー。
⾼校時代、⿇雀をきっかけに甲⾻⽂字と中国古代哲学への関⼼に⽬覚める。⾼校教師時代に能と出会う。ワキ⽅の重鎮、鏑⽊岑男師の謡に衝撃を受け、27歳で⼊⾨。現在は、能楽師のワキ⽅として国内外を問わず活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺⼦屋「遊学塾」を東京を中⼼に全国各地で開催。⽇本と中国の古典の “⾝体性”を読み直す試みも継続。能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演も⾏なう。隣町珈琲でも「論語と⾝体」「古事記から探る⽇本⼈の古層」シリーズなど連続講座を多数開催。http://watowa.net