岩瀬忠震いわせただなり橋本左内はしもとさないは、京都で何をしていましたか?

岩瀬忠震は、天皇から日米修好通商条約の許可(勅許)をもらう交渉のために、老中の堀田正睦と一緒に京都に3か月間滞在しました。その間瑞泉寺を宿泊所としたのです。一方、橋本左内は、この混迷する時代の次の将軍は優秀な一橋慶喜(後の15代将軍)にするべきだというミッションを帯びて、朝廷に対して推薦してもらうための政治的な働きかけをしていました。この将軍継嗣について岩瀬と橋本は同じ意見を持っていました。