条約を結んだ後、岩瀬忠震いわせただなりはどうなりましたか?

岩瀬忠震は、大老の井伊直弼とは意見が会いませんでしたが、外交の人材に乏しい幕府の中で新しく設置された外国奉行に任命されます。外交政策を担当しますが次第に別の役職に転任させられ、最終的には役職を解かれました。桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された後も岩瀬は政界に戻ることなく、病気で亡くなりました。明治時代のジャーナリストには、その死を「憤死(ふんし)」(怒りのあまり死んだ)と評した人もいました。