瑞泉寺 豊臣秀次公と御一族の菩提寺

御岳山の噴火事故に思う

小さいお庭ですが、季節ごとの美しさが感じられます。

地震、台風、竜巻。

近頃はいままで見た事のないような、
大災害の映像が毎週のようにテレビに映し出され、
もうあまり驚かなくなってしまった感があります。
それでも御岳山の噴火の映像は、
とてもショックなものでした。
被災された人が直前に撮影した
よく晴れた美しい山の風景が一変、
立ち上る火山灰、画面自体がそれに飲み込まれていく。
一寸先は闇、といいますが、
今が平和でも、次の瞬間なにが起こるかわからない、
この世界の有り様を見せつけられたように思います。

僕は何度か御岳山に登ったことがあります。
と言うとベテランの登山家のように聞こえるかもしれませんが、
まったくの素人です。
会社員の頃、同僚で山が好きな人がいて
(と、言ってもその人もそんなに経験があるわけでもなく)、
その人にさそわれて、20代で若かったこともあって、
気楽な気持ちで信州の登りやすそうな山に
ハイキングの延長のような感覚で登っていました。
そのうちの一つが御岳山でした。
朝から2時間も登れば木々が少なくなり、
いわゆる高山植物が咲くような、
岩場ばかりのアルプスのような光景が楽しめる山だったので、
僕らを含めて初心者や、
老若男女の登山者がたくさん登っていました。
御岳信仰の霊場だったこともあって、
登山、というより参詣に行く、という気持ちで
登られていた人も多かったと思います。

そのとき、まさか御岳が噴火する山だとは、
たくさん登っている人たちの中で、
何人が知っていたでしょう。
少なくとも、僕たちは全く知りませんでした。
きっと、今回被害に会った人たちも、
当時の僕同様、知らなかった人が多かったに違いありません。
もしかして、僕が登っていた時に、
噴火が起こっていたかもしれない。
たまたま大丈夫だっただけで。

生きて帰った被害者の人が、亡くなった仲間たちに対して、
「自分だけが生き残って、申訳ない」と涙を流す様を
テレビニュースで見ました。
僕も思いました。あのとき何事も無く帰ってこれた僕と、
今回の被災で亡くなった人と、何が違ったのか。

東日本大震災のとき、本山の管長猊下が
「代受苦者」のお話をされていたのを思い出します。
災害に合った人たちは僕たちに代わって
「苦」を背負ってくれた「代受苦者」であると。
生き残った僕たちは「苦」を背負ってくれた方々の分まで、
世の中に役立つことをする使命を受け取ったのだと。
次々起こる災害のニュースを聞く度に、
「代受苦者」という言葉を思い返します。
そして自分に課せられた使命を確認したいと思います。

災害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。