修復を進めている寺宝について、詳細です。
一つ目の「瑞泉寺裂(ずいせんじぎれ)」。
瑞泉寺にはこの地で亡くなった秀次公の側室上﨟の女性たちが最後に詠んだ『辞世の句』を彼女たちが着ていたと伝わる着物の裂(きれ)で表装した掛け軸をはじめ、たくさんの掛け軸が伝わっています。
特に「東山天皇綸旨」「後西天皇綸旨」「女房奉書」の三幅の掛け軸の周囲を彩る表具裂は古来『瑞泉寺裂』と呼ばれ、染色の世界では著名なものです。
一度は失われた染色技術『辻ヶ花』で染められた部分と、上品で繊細な刺繍を施された部分の2つの別の着物から組み合わされて表装に使われています。どちらの裂も美しい色合いを保ちながら残されている貴重なもので、京都府の指定文化財に登録されています。
この三幅、兼ねてから裂の周囲の破損や虫喰い部分が課題となっていて、今回430回忌を機会に修復することになりました。これらは一度、裂・紙などパーツに分解され欠損部分の補修が行われたのち、また元の状態に戻されます。
今回の修復に伴う調査で、この元になった着物(小袖)がかなり高貴で裕福な人が着ていたものだと確認されました。刺繍は今では難しいほどの細い糸で施され身分の高い女性が着ていたものと思われます。また辻ヶ花染めは繊細な技術の中に大胆でアーティスティックな意匠が描かれ、その色合いから若い男性が着ていたものの可能性が高いとのこと。もしかしたら御一族と秀次公が着ていたものでは?という期待も高まります。
二つ目は「秀次公筆和歌扇面」、秀次公の直筆の和歌が書かれた扇子です。
琳派を思わせる絵柄の施された扇面に流麗な筆運びで書がしたためられています。この書を見ているだけでも秀次公の教養を感じられます。この扇面、いわゆる骨の部分が残されていて、扇子としての形状を留めていること自体が非常に稀です。同時代の扇面は他にも残されてはいますが、骨から外され扇面のみが屏風などに貼られた状態での保存が普通だとのこと。当時の文物を知る貴重な文化的資料としての価値の高いものです。残念ながら骨を元のように戻しての修復は難しく、現状を留めつつこれ以上の劣化を防ぎ、かつ収納と展示がしやすい形での修復となります。
これらは共に明治時代から京都国立博物館に寄託されていたもので、寺宝といえども私たちお寺の者もあまり見る機会がありませんでした。今回の修復で間近に見ることができ、またこの機会に京博の学芸員さんに詳細を調べていただけることも、このプロジェクトの意義だと思っています。
現在、京都国立博物館内の文化財保存修理所にて修復中です。6月18日からの秀次公430回忌 特集展示「豊臣秀次と瑞泉寺」にて一般の方にも見ていただける予定です。ご期待ください。