秀次事件とその後瑞泉寺が建立されるまでのストーリーが絵とともに語られています。
画帳で、4巻から成り、京都市歴史資料館に寄託。
- 巻一/秀吉と秀次の誕生から天下取り、秀次の出世、そして秀頼誕生と秀次謀叛の嫌疑まで。
- 巻二/関白位を剥奪された秀次が高野山へ上がり家臣らと自刃するまで。
- 巻三/秀次の首が京に運ばれ一族の処刑とその後に塚が築かれるが、後に荒廃するまで。
- 巻四/角倉了以の発願により「塚」の跡に御一族墓域と瑞泉寺が建立され、その後天和三年に寺が再建整備されたことまで。
この絵縁起の成立年代は、天和三年(1683年)以降ですが確かには不明です。
ちなみに、三条河原での一族子女の処刑を描写する部分は太閤記の一種である『聚楽物語』を底本に描かれたものだと思われます。