瑞泉寺 豊臣秀次公と御一族の菩提寺

奉納創作舞台『殺生塚』開催終了のご報告

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6月8日、秀次公と御一族430回忌記念奉納芸能・第二弾、安田登さんとノボルーザによる創作舞台『殺生塚』を開催いたしました。安田登さんは下掛宝⽣流ワキ⽅能楽師。そしてノボルーザは安田さんの率いる一座ですが、謡、雅楽、舞踏、電子音楽家、造形作家などその都度いろいろな人が集まって一つの作品を作り上げる不思議な集団です。今回秀次公の側室たちの三条河原での処刑と、瑞泉寺に伝わる彼女たちの辞世の句をテーマにした舞台を創作し上演してくださいました。※タイトルの「殺生塚」については以前の記事をご参照ください。

⚫︎キャスト
里の女性/実は秀次公の側室の霊:かすみ
里の女性/実は秀次公の側室の霊:名和紀子
里の女性/実は秀次公の側室の霊:香夜子
旅の僧:安田登
武士・地謡・琵琶:本郷智
武士・地謡・笙:大島淑夫
都人:笑福亭笑利
都人/仏師:升田学
電子音楽:ヲノサトル
パーカッション:森山雅之
人形制作:山下昇平
謡人/声楽:田渕洋次郎
読経:中川龍学・中川龍祝(瑞泉寺)

舞台全体は能楽的な構成になっています。
⚫︎あらすじ
諸国遊行の僧が三条河原に通りかかると、そこに荒れ果てた塚を見つけ、ここがかつての処刑場の跡地かと念仏をあげる。すると笙と笛、琵琶などの音が聞こえ美しい里の女性三人が現れ今様を謳い舞を舞う。そこに都人二人が通りかかり楽しそうなので自分たちも入れてくれと共に謡い踊り出す。ひとしきりの後、僧がなぜ舞うのか問うと女は弔いのためだと言い、次第に秀次公ご一族の悲劇を語り始める。気がつくと三条河原はかつての処刑場と化し、僧は秀次公の幼い子どもたちと側室たちの惨い処刑を見る。語り終え女は私たちはここで殺された側室たちの霊であると告げ、僧に法事をして弔ってくれるよう頼んで消える。僧は一夜の念仏を誓い、二人の都人たちは私たちも共に弔いたいと言う。都人の一人は仏師であり念仏に合わせて仏を作って弔らうと言う。僧の読経の中、三条河原に処刑の場がよみがえり側室たち34名の処刑が次々と永遠に続くかのように行われていく。

あらすじだけを書くと、後半延々と女性たちの処刑が語られ演じられていくので、かなり凄惨な舞台のように思えるかもしれません。実際、それぞれの女性が最後どのような佇まいで辞世の句を詠み斬られていったか、34名一人ずつ処刑シーンを再現して、それが1時間ほど続きます。刀に見立てた扇子ですが、武士が順番に女性を斬っていく様はリアルな情景に見えました。

ただ、語られる一人一人の女性の毅然とした佇まいと、辞世の句に詠まれる迷いの無さ(瑞泉寺に伝わる辞世の句を安田さんが朗々と読み上げ、現代語訳を女性が語ります)に、凛とした潔さが感じられ残虐な感じはしません。また処刑される女性たちは人形で表現され、それを先ほどの側室たちの霊が一人ずつ運んで観客の前に並べていくことで演じられていました。人形たちは白い素材で作られ最小限の彩色を施されたとても清楚な作りで生々しさは感じられず、それらの演出が彼女たちを襲った理不尽な運命の惨さ悲しさを増幅していっそうの涙を誘いました。

辞世の句は例えばこんな感じ。「第九番於よめの前、御歳、二十八歳。白装束に珠数と扇子を持ち添えて、西に向って手を合わせ(都人が番号と名前を読み上げ、女性の佇まいを報告する) 『ときをけるのりのおしへの道なればひとり行くともまよふべきかは』(旅の僧が辞世の句を朗々と謡う) 極楽浄土への道は知っていますひとりで行けます 大丈夫です(側室の霊が現代語訳で語る)」

 

そこに歌が重なります。

 

無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
心は西へ ひと筋に
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
私はひとり 旅に出る

これがこの世の 別れとて
涙の露と 消えてゆく

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
心は西へ ひと筋に

そのシーンに電子音楽の美しい調べと、声楽の声、さらには僧侶の読経が重なっていきます。さまざまな音楽と音が渾然一体となっていき、これがいつ果てるともなく続いて、やがて宗教的な荘厳さが生み出されていきます。女性たちは次々に斬られていきますが、「第二十八番於国の前」「第二十九番於須儀の前」という呼び出しも何か卒業式のようで、極楽浄土へと旅立っていくような、新しい世界へと浄化されていくような感動を覚えました。これは法要だ、そう思いました。そして全てが終わった時、仏師の作った針金仏が舞台にぽつんと残されていました。供養が成ったと感じました。

女性たちそれぞれの名前と辞世の句を読み上げ、それぞれの最後の様子を再現する(しかも430年前にそれが行われた現場で)ことによって、「秀次公の御一族」ではなく一人一人のかつて生きていた女性個々人を弔えたように思いました。「法要」の新しいあり方、もしくは本来のあり方ってこうなんじゃないか。そんな気付きも得ることができました。「この舞台をしたことで瑞泉寺は次のステージに進んでいくような気がする」とノボルーザの一員の精神科医の先生は打ち上げの席でおっしゃってくださいました。確かにそう感じられる舞台でした。素晴らしい舞台をしていただいた安田登さんとノボルーザのみなさん、ありがとうございました。そして参加者の皆さん、この舞台を一緒に経験できたご縁に感謝いたします。

 

この世の悦び この世の苦しみ
すべて うたかた 夢のまぼろし
漆黒の闇路に 彷徨う 我らを
遥かに照らせ 山の端の月よ

 

悦び苦しみも 迷いも悲しみも
すべてここに捨てて
今ぞ弥陀の国へ
罪科(とが)穢れさへ 許し給(たも)ふ誓い
救いの月の舟 今ぞともに乗ろう

 

劇中歌作詞作曲:安田登

写真:野口さとこ ※針金仏写真は升田学